つながるファブリーコミュニティ
患者さんとご家族の声
私にとって治療を続けることは、前向きに生きる希望
ある日、息子さんが勤務先の寮で倒れ、救急車で病院に運ばれました。連絡を受け、夫と病院へ駆けつけ、その後、息子さんがファブリー病であることが判明しました。
その後、ご自身もファブリー病であることを知ることになります。以来、20年の長きにわたり治療を続けている患者さんに、お話を伺いました。
診断を受けるまでの経緯
ご自身がファブリー病と診断された経緯を教えてください。
社会人となった息子が、ある時、脳梗塞で倒れ、その原因がファブリー病であることが判明しました。その時に診ていただいた先生から、ファブリー病は親から子へと伝わる遺伝病
であることを聞きました。先生の勧めで検査を受けて、私もファブリー病と診断されました。
社会人となった息子が、ある時、脳梗塞で倒れ、その原因がファブリー病であることが判明しました。その時に診ていただいた先生から、ファブリー病は親から子へと伝わる遺伝病であることを聞きました。先生の勧めで検査を受けて、私もファブリー病と診断されました。
それまでファブリー病の症状はなかったのですか。
当時はそもそもそんな病気は知りませんでしたから、自分にファブリー病の症状があるとは思ってもいませんでした。
でも、思い返してみると、息子が脳梗塞を発症する前から、私は心臓の具合が悪かったのですが、原因はわかりませんでした。また、熱が出ると指先や手、足に違和感がありました。それと、息子もそうなのですが、暑いのが苦手でした。
耳鳴りや、あまりからだの無理が利かないというのも、
若い頃からありました。でも、生活する上では問題ないので、体質かなという程度に思っていました。当時通っていたお医者さんは、ファブリー病の患者さんを診たことがなかったようでした。
当時はそもそもそんな病気は知りませんでしたから、自分にファブリー病の症状があるとは思ってもいませんでした。でも、思い返してみると、息子が脳梗塞を発症する前から、私は心臓の具合が悪かったのですが、原因はわかりませんでした。また、熱が出ると指先や手、足に違和感がありました。それと、息子もそうなのですが、暑いのが苦手でした。耳鳴りや、あまりからだの無理が利かないというのも、若い頃からありました。でも、生活する上では問題ないので、体質かなという程度に思っていました。当時通っていたお医者さんは、ファブリー病の患者さんを診たことがなかったようでした。
息子さんの症状
息子さんは、以前からファブリー病の症状は出ていなかったのですか。
振り返ってみますと、息子は、幼い頃からからだが弱く、
皮膚に赤い点々のようなものがありました。10歳の時、
髄膜炎で入院したのですが、その時もファブリー病であることはわからず、月に一度は風邪の症状で受診していました。
風邪を引くと、2週間ほど風邪薬を飲んでいるような子でした。年に一度は発熱し、熱が下がるまで静養していました。発熱は、大人になってからもありました。
振り返ってみますと、息子は、幼い頃からからだが弱く、皮膚に赤い点々のようなものがありました。10歳の時、髄膜炎で入院したのですが、その時もファブリー病であることはわからず、月に一度は風邪の症状で受診していました。風邪を引くと、2週間ほど風邪薬を飲んでいるような子でした。年に一度は発熱し、熱が下がるまで静養していました。発熱は、大人になってからもありました。
息子さんが脳梗塞を発症されてからファブリー病と診断されるまで、どのくらいの時間がかかりましたか。
7月に脳梗塞を発症して、ファブリー病と診断されたのが
その年の10月だったと思います。脳梗塞で病院へ運ばれた後、比較的早く、脳血管の詰まりは取れたのですが、一般的によくみられるタイプの脳梗塞とは異なる経過だったよう
で、先生がいろいろな検査をしてくださいました。幼い頃から皮膚に症状がありましたので、皮膚科の先生が生検してくださり、ファブリー病であることがわかりました。
7月に脳梗塞を発症して、ファブリー病と診断されたのがその年の10月だったと思います。脳梗塞で病院へ運ばれた後、比較的早く、脳血管の詰まりは取れたのですが、一般的によくみられるタイプの脳梗塞とは異なる経過だったようで、先生がいろいろな検査をしてくださいました。幼い頃から皮膚に症状がありましたので、皮膚科の先生が生検してくださり、ファブリー病であることがわかりました。
息子さんが診断された時のお気持ちはいかがでしたか。
本当にショックで、不安でした。聞いたこともない病気で、これからどうなるのかなと思いました。その時息子は、
紙一枚つかめない状態で、お財布のチャックをつかむこともできませんでした。
ある時、先生が、「お酒が飲めない人はアルコールを分解する酵素がないんだけど、それと一緒なんだよ。」と教えてくださいました。わかりやすい説明で、すごくほっとしたことを覚えています。それ以来、病気のことをあまり深刻に考えなくなりました。
その後、息子は日々リハビリを頑張ったおかげで、比較的
すぐに、箸が持てるようになり、鉛筆が持てるようになり、字が書けるようになりました。この先の後遺症のことなどを思い悩むよりも、息子のできることが毎日増えていくことが喜びでした。とにかく、普通に生活ができるようになるまでに戻ってくれたらという思いでした。
ファブリー病は指定難病だから、保健所へ医療費助成の申請に行ったほうがいいよと勧められていたのですが、なかなか行けませんでした。息子が難病であることを認めなければならないとか、今回の脳梗塞だけで終わるのかな、1回だけで終われば別に申請はしなくてもいいのではないか、などと
考えていました。でも、治療を始めてから、これから毎月
治療を受けていくことの大切さや、どんな治療をするのかを知り、また、ファブリー病の治療を受けなければ脳梗塞の
再発もあり得ることなども教えていただきました。息子には二度と同じ苦しみを味わってほしくないと思い、指定難病の申請を決めました。
脳梗塞の治療には多額の費用がかかりました。後日、高額療養費として戻りましたが、当時、一時的に医療費を負担することは、我が家にとっては大きな負担でした。今、振り返ってみれば、勇気を出して申請してよかったと思っています。
本当にショックで、不安でした。聞いたこともない病気で、これからどうなるのかなと思いました。その時息子は、紙一枚つかめない状態で、お財布のチャックをつかむこともできませんでした。
ある時、先生が、「お酒が飲めない人はアルコールを分解する酵素がないんだけど、それと一緒なんだよ。」と教えてくださいました。わかりやすい説明で、すごくほっとしたことを覚えています。それ以来、病気のことをあまり深刻に考えなくなりました。
その後、息子は日々リハビリを頑張ったおかげで、比較的すぐに、箸が持てるようになり、鉛筆が持てるようになり、字が書けるようになりました。この先の後遺症のことなどを思い悩むよりも、息子のできることが毎日増えていくことが喜びでした。とにかく、普通に生活ができるようなるまでに戻ってくれたらという思いでした。
ファブリー病は指定難病だから、保健所へ医療費助成の申請に行ったほうがいいよと勧められていたのですが、なかなか行けませんでした。息子が難病であることを認めなければならないとか、今回の脳梗塞だけで終わるのかな、1回だけで終われば別に申請はしなくてもいいのではないか、などと考えていました。でも、治療を始めてから、これから毎月治療を受けていくことの大切さや、どんな治療をするのかを知り、また、ファブリー病の治療を受けなければ脳梗塞の再発もあり得ることなども教えていただきました。息子には二度と同じ苦しみを味わってほしくないと思い、指定難病の申請を決めました。
脳梗塞の治療には多額の費用がかかりました。後日、高額療養費として戻りましたが、当時、一時的に医療費を負担することは、我が家にとっては大きな負担でした。今、振り返ってみれば、勇気を出して申請してよかったと思っています。
治療の開始
治療を始めたのはいつからですか。
私はもともと、心臓に異常があり、ファブリー病と診断される前は、近所のお医者さんに診てもらっていました。でもとくに何か治療をするわけでもないし、薬を使うこともありませんでした。その後、血圧を安定させる必要が生じ、血圧の薬を飲み始めた頃に、息子がファブリー病と診断され、その流れで私も同じ病気と診断されて、
心臓の異常もファブリー病が原因とわかりました。
診断される前にはなかったファブリー病の薬が、2004年に発売されました。私はその時に治療を始めたので、ちょうど20年ですね。振り返ってみるとあっという間です。今は、
薬があれば、ある程度は症状を抑えることができることも
実感しています。薬があるということに感謝しています。
私はもともと、心臓に異常があり、ファブリー病と診断される前は、近所のお医者さんに診てもらっていました。でもとくに何か治療をするわけでもないし、薬を使うこともありませんでした。その後、血圧を安定させる必要が生じ、血圧の薬を飲み始めた頃に、息子がファブリー病と診断され、その流れで私も同じ病気と診断されて、心臓の異常もファブリー病が原因とわかりました。
診断される前にはなかったファブリー病の薬が、2004年に発売されました。私はその時に治療を始めたので、ちょうど20年ですね。振り返ってみるとあっという間です。今は、薬があれば、ある程度は症状を抑えることができることも実感しています。薬があるということに感謝しています。
前向きに治療に取り組まれるまでには、何かきっかけがあったのでしょうか。
20年以上、治療を続ける中で、患者会のセミナーに参加して、いろいろな方々にお会いする機会がありました。
私はファブリー病だけど、治療を前向きに受けていけば
大丈夫、と思うようになりました。がん患者さんがそうであるように、どんな病気も受け容れて、前向きに治療に取り組んでいけば、楽しく、前向きに生きられると思っています。
20年以上、治療を続ける中で、患者会のセミナーに参加して、いろいろな方々にお会いする機会がありました。私はファブリー病だけど、治療を前向きに受けていけば大丈夫、と思うようになりました。がん患者さんがそうであるように、どんな病気も受け容れて、前向きに治療に取り組んでいけば、楽しく、前向きに生きられると思っています。
治療の継続
治療を始めて20年の間に、症状が進行していると思ったことはありますか。
私自身は、心臓の症状が悪化していると思いますが、
ファブリー病が原因なのか、加齢により誰にでも起こるものなのか、その線引きが難しいと思っています。ですから、
今も症状の観察を続けています。
息子は、ファブリー病と診断されるまでは、健康診断を
受けたことがありませんでした。社会人になってからも、
ファブリー病の症状である目や腎臓の異常もなく、皮膚症状だけだったと思います。病気の進行という点では、息子の
場合は、皮膚以外の症状があまり進行しないうちに診断してもらえたことはよかったと思っています。
私自身は、心臓の症状が悪化していると思いますが、ファブリー病が原因なのか、加齢により誰にでも起こるものなのか、その線引きが難しいと思っています。ですから、今も症状の観察を続けています。
息子は、ファブリー病と診断されるまでは、健康診断を受けたことがありませんでした。社会人になってからも、ファブリー病の症状である目や腎臓の異常もなく、皮膚症状だけだったと思います。病気の進行という点では、息子の場合は、皮膚以外の症状があまり進行しないうちに診断してもらえたことはよかったと思っています。
症状の観察を続けているそうですが、毎年検査を受けているのですか。
はい、毎年、検査を受けています。からだの中は見えませんから、検査を受けることで、自分のからだの中の変化をデータで理解することができます。自覚症状と検査データには
差があることもあります。病気の状態は、自分で思った以上に悪いかもしれないし、思った以上に変化がないのかもしれません。自分の感覚とデータを比べて、今の自分の状態を
知る上でも、検査は必要だと思っています。
実際には、動き過ぎてしまうと息切れするなど、心臓の具合が悪くなってしまうことがあります。そうなったときは、
ちょっと休むなどの対策をとっています。病気と上手に
付き合っていくには、自分の病気がどの程度なのかを知り、気をつけていかなければいけないと思っています。
はい、毎年、検査を受けています。からだの中は見えませんから、検査を受けることで、自分のからだの中の変化をデータで理解することができます。自覚症状と検査データには差があることもあります。病気の状態は、自分で思った以上に悪いかもしれないし、思った以上に変化がないのかもしれません。自分の感覚とデータを比べて、今の自分の状態を知る上でも、検査は必要だと思っています。
実際には、動き過ぎてしまうと息切れするなど、心臓の具合が悪くなってしまうことがあります。そうなったときは、ちょっと休むなどの対策をとっています。病気と上手に付き合っていくには、自分の病気がどの程度なのかを知り、気をつけていかなければいけないと思っています。
治療を受けることとこれからのこと
20年間治療を続ける中で、途中で治療を休みたいと思うことはありましたか。
一度もありません。逆に、長い間、治療を続けることで
よいことがたくさんあります。息子のことをずっと見てきましたので、治療の重要性はよくわかっています。治療を続けることは、症状がよくなる、病気の進行を遅らせるための希望であると思っています。
最近では、看護師さんにも遠慮せずに、言いたいこと、
感じたことを伝えられるようにもなりました。以前こんなことがありました。静脈注射をしてもらう際に、看護師さんが同じ場所ばかりに針を刺していたので、腫れて痛くなってしまったのですが、我慢していました。ある時、看護師さんにそのことを伝えたら、では違うところにしましょう、
と簡単に言われてしまいました。何だ、思ったことはその場で伝えればいいんだと、その時初めて気づき、それからは
気持ちが楽になりました。
20年前に比べて、ファブリー病を取り巻く環境はとてもよくなっていると思います。治療も複数の選択肢があるので、
自分に合ったものを選ぶことができますし、治療を続けやすい環境になったと思います。
今では、治療を続ければ続けるほど、もっとよくなっていくという実感と期待が、治療を続けていくモチベーションになっています。
一度もありません。逆に、長い間、治療を続けることでよいことがたくさんあります。息子のことをずっと見てきましたので、治療の重要性はよくわかっています。治療を続けることは、症状がよくなる、病気の進行を遅らせるための希望であると思っています。
最近では、看護師さんにも遠慮せずに、言いたいこと、感じたことを伝えられるようにもなりました。以前こんなことがありました。静脈注射をしてもらう際に、看護師さんが同じ場所ばかりに針を刺していたので、腫れて痛くなってしまったのですが、我慢していました。ある時、看護師さんにそのことを伝えたら、では違うところにしましょう、と簡単に言われてしまいました。何だ、思ったことはその場で伝えればいいんだと、その時初めて気づき、それからは気持ちが楽になりました。
20年前に比べて、ファブリー病を取り巻く環境はとてもよくなっていると思います。治療も複数の選択肢があるので、自分に合ったものを選ぶことができますし、治療を続けやすい環境になったと思います。
今では、治療を続ければ続けるほど、もっとよくなっていくという実感と期待が、治療を続けていくモチベーションになっています。
治療を続ける中で、ご家族や患者会の皆さん、周りの人たちは、どんな存在ですか。
みんな頑張っていると思うと、自分も頑張れます。私は10年近く、患者会にお世話になっていますが、患者会にはお互い支え合える多くの仲間がいて、いろいろな情報を手に入れる
ことができます。これからもいかに楽しく、長生きしていこうか、そんなやりとりもあります。
みんな頑張っていると思うと、自分も頑張れます。私は10年近く、患者会にお世話になっていますが、患者会にはお互い支え合える多くの仲間がいて、いろいろな情報を手に入れることができます。これからもいかに楽しく、長生きしていこうか、そんなやりとりもあります。
楽しく生きていこうという力強い姿の源は何ですか。
人間は寿命が来るまで生きなくてはいけない。私自身は、
笑っても1日、泣いても1日、どちらがいいかといえば、
笑っていられるほうがいいかなと思っています。
そして、家族の存在です。親として私より症状の重い息子を支えていきたいという思いが強いです。これが、私の生きる力になっていると思います。
息子はまだ、病気との付き合い方がよくわからないのではないかと思います。だからまずは、気持ちを明るく保つようにと伝えています。
息子が脳梗塞を発症して20年が経ちますが、いろいろなことが自分でできるようになってきました。少しだけ自信もついてきたように見えます。発症してしばらくは、家におりましたが、体調が落ち着いてきたので、復職しました。その後、ファブリー病の患者には厳しい環境へ異動となり、
ファブリー病の症状が強く出たため、退職しました。今は、患者会のおかげで、ファブリー病が世間で知られるようになり、理解ある上司の方に恵まれて、新しい職場で働いております。
人間は寿命が来るまで生きなくてはいけない。私自身は、笑っても1日、泣いても1日、どちらがいいかといえば、笑っていられるほうがいいかなと思っています。
そして、家族の存在です。親として私より症状の重い息子を支えていきたいという思いが強いです。これが、私の生きる力になっていると思います。
息子はまだ、病気との付き合い方がよくわからないのではないかと思います。だからまずは、気持ちを明るく保つようにと伝えています。
息子が脳梗塞を発症して20年が経ちますが、いろいろなことが自分でできるようになってきました。少しだけ自信もついてきたように見えます。発症してしばらくは、家におりましたが、体調が落ち着いてきたので、復職しました。その後、ファブリー病の患者には厳しい環境へ異動となり、ファブリー病の症状が強く出たため、退職しました。今は、患者会のおかげで、ファブリー病が世間で知られるようになり、理解ある上司の方に恵まれて、新しい職場で働いております。
最後に、将来に向けての気持ちをお聞かせください。
病状の経過を観察し続けることは、病気の進行を知る上でとても大切だと感じています。自分らしく、楽しい生活を長く続けていくために、これからも引き続き、自分の病気のことをよく知りながら、治療を続けていきます。
加えて、私は母親で、しかも心配性ですから、息子のことを
大丈夫かなと心配したり、おせっかいを焼いたりしていますが、息子は、自分で見つけた仕事だからと、責任を持って
仕事を頑張っています。息子を見ていると、自分は病気だけど、働く自信や頑張ろうという気持ちが出てきているように見えます。頑張り過ぎたり、我慢し過ぎたりしないように、母親として、これからも見守っていきたいと思っています。
病状の経過を観察し続けることは、病気の進行を知る上でとても大切だと感じています。自分らしく、楽しい生活を長く続けていくために、これからも引き続き、自分の病気のことをよく知りながら、治療を続けていきます。
加えて、私は母親で、しかも心配性ですから、息子のことを大丈夫かなと心配したり、おせっかいを焼いたりしていますが、息子は、自分で見つけた仕事だからと、責任を持って仕事を頑張っています。息子を見ていると、自分は病気だけど、働く自信や頑張ろうという気持ちが出てきているように見えます。頑張り過ぎたり、我慢し過ぎたりしないように、母親として、これからも見守っていきたいと思っています。