つながるファブリーコミュニティ専門家インタビュー
遺伝とこころの不調に向き合う
~気持ちを楽に、自分を大切に~
お答えいただいたのは…
今回教えていただいたポイント
遺伝子の変化は誰にでも起こりうることで、誰のせいでもありません。
しかし実際には、周囲の理解不足により、それが悪いことのように捉えられ、悪い意味の印としての扱いを受けること(スティグマといいます)もあります。
スティグマに悩まされ、嫌な経験をしてしまうと、自身のメンタルヘルスを悪化させる要因になる場合があります。
こころの不調を和らげて、自分らしく生きるためにできることを、こころの専門家として長年にわたり難病患者さんの相談を受けておられる臨床心理士の鎌田先生に伺いました。
「遺伝子」とは、元々種の保存に関して親世代から子世代へと受け継がれ、人間の評価基準からみて「良いもの」と「悪いもの」に分けられてしまう傾向があるものです。
そしてその両価的な意味をもつ「遺伝」に「病」という文字が付与されることによって、「病」という言葉そのものが有している「忌み嫌われるもの」「嫌なもの」「ないほうが幸せなもの」というステレオタイプが、「遺伝病」という言葉にも付随してしまうと考えます。
遺伝病は「遺伝子の変化により起こるもの」で「誰のせいでもない」ものの、現実として親子関係が破綻したり、夫婦が離婚したりする原因となっている事例が多くあります。
つまり、「遺伝病に対するスティグマ」とは、本当は誰のせいでもないのにもかかわらず、「遺伝子」という言葉が介在するがゆえに、「嫌なものが、否応なく親から子へ確実に受け継がれてしまう」と誤解が生じ、「親が子へ成す罪」という感覚が拭えなくなってしまうのだと思います。
愛する人との間に授かった子であれば、親は「五体満足で生まれてほしい」「幸せになってほしい」「自分の持っているものはすべて与えたい」などといった気持ちを持っています。また、人は子どもが生まれる前には「我が子が遺伝病になる」とは考えないものです。
ですから、「本来ならばよいものを次の世代に遺したいのに、それができず病を遺させてしまった(遺伝させてしまった)」という誤解を、あたかも事実であるかのように認識してしまうのです。そのため、我が子や家族への「すまない、申し訳ない」という罪の意識を拭うことが難しくなってしまうのでしょう。
どうしても気にしてしまいます。
遺伝させてしまったと子どもへ負い目を感じ、自己犠牲的に日常生活を送っている場合もあるでしょう。
「気にしなくて大丈夫」と言われ、気にしないように努めていたとしても、どうしても気になってしまうこともあるでしょう。気にしてしまう自分はダメな人間だと思ってしまうこともあるかもしれませんが、人間だから気になってしまうのは当然なのです。
「子どもに遺伝させてしまった、申し訳ない」という負の考え方ではなく、今できる工夫を一緒に考えると、生活をする上で楽しく思えることが増え、生活に適応できるようになります。親と子、つまり家族で一緒に考えていくことが大切です。うつむき加減だった姿勢を正し、ぐっと上を向き、明るい将来を思い描きながら「どうやったらよいか」という方法を家族で一緒に考えていくことによって、自然とスティグマは軽減していくのです。
おおらかに、柔軟に物事を捉えられるようにしましょう。子どもは、遺伝病に関して否定的な発言をする親の姿を間近で見ていると「遺伝病が悪いものである」という認識が植えつけられてしまいます。また否定的な発言をする親の傍にはいたくないと思って距離をとることもあり、結果的に、親子のこころは離れていってしまいます(図1)。
遺伝病についても困りごとについても何でも話ができる状態にある家族は「遺伝病は日常生活で話題に出しても平気なものである」という認識になります。「遺伝病は忌み嫌うものである」という考えは生じず、「遺伝病であっても一人の尊重されるべき人間である」という認識が子どもの中で育っていき、それが世代を超えて、社会全体の認識を変えていくものになるのです。
肩の力を抜いて、どんなストレスが来たとしても、“ぼよん”と跳ね返すことができる柔らかさが、こころにあるとよいですね。
図1